ウルル、カタ・ジュタ国立公園

オーストラリアの複合遺産 オーストラリアのウルル(エアーズロック)とカタ・ジュタの中心とする一体は巨大岩石群 ウルルはオーストラリア西部のマウント・オーガスタスに次いで、世界2位の巨大な一枚岩 この土地はアボリジニのアナング族の聖地 アボリジニ…

大ジンバブエ遺跡

ジンバブエの文化遺産 トンブクトゥと同様に金の交易で繁栄したのちに衰退した砂漠地帯の遺跡都市 13世紀にショナ族が築いた石造建築による都市で、「アクロポリス」と「神殿」、「谷の遺跡」が残る 現地の言葉で「石の家」を意味するジンバブエが国名の由…

伝説の都市トンブクトゥ

マリの文化遺産で危機遺産 マリ共和国中部の都市トンブクトゥは、もともとトゥアレグ族の宿営地だったが、マリ帝国統治下の13世紀、サハラ砂漠の岩塩とニジェール川の金の交易の中継地として栄え、16世紀にソンガイ帝国のもとで最盛期を迎えた トンブクトゥ…

フエの歴史的建造物群

ベトナムの文化遺産 ベトナム中部のフエは、グエン朝時代の同国の首都 王宮は、北京の紫禁城を4分の3に縮小してつくられた。 中国の影響が強いベトナムに、近代以降西洋文化が流入した独自文化 フエの都市計画も、中国風を基本にベトナム伝統建築やヴォーバ…

北京と瀋陽の故宮

中国の文化遺産 北京の故宮は明・清時代、皇帝の居城で政治の中枢が置かれていた場所 清王朝崩壊後は故宮博物院として一般公開されているが、それ以前は紫禁城と呼ばれ、立ち入り禁止だった 城壁内部は中央の乾清門を境に、北の内廷は生活の場、南の外朝は公…

ナスカとパルパの地上絵

ペルーの文化遺産 地上絵はペルー南部のナスカとパルパにかけて描かれている。 年間降水量の少ない地域のため、絵が消えずに残った。 ナスカ文化との関連性が指摘されている。 70以上の動植物と700本以上の幾何学文様

ラパ・ニュイ国立公園

チリの文化遺産 約900体のモアイ像で有名で、正式名称は「パスクア島」だがイースター(復活祭祭)の日に発見されたことからイースター島と呼ばれる。 モアイの建造を始めたのはポリネシア系の長耳族だが、南米から短耳族が移住してくると、16世紀頃に部族間…

チチェン・イツァの古代都市

メキシコの文化遺産 メキシコ東部ユカタン半島北部のチチェン・イツァは、マヤ文明の中心拠点だった都市の遺跡群 マヤ文明の遺構が残る南部の旧チチェンと、トルテカ文明の遺構が残る北部の新チチェンに二分される 両区域には、マヤ文明の高度な天文知識を示…

マチュピチュ

ペルーの複合遺産 インカ族は15世紀に周辺の国を統一してインカ帝国を建設した。マチュピチュはその頃に築かれた都市 充実した灌漑施設と水汲み場の跡が、高度な文明をうかがわせる。 手つかずの自然が残されているため、複合遺産として登録されている。 最…

モスクワのクレムリン赤の広場

ロシアの文化遺産 モスクワ大公国はビザンツ帝国の後継者ツァーリ(皇帝)を自称したイヴァン3世によって1480年に独立した。 イヴァン3世は、レンガの壁や城門を建設してモスクワの壁を強固にし、その中にウスペンスキー大聖堂やグラノヴィータヤ宮殿を建…

メキシコシティの歴史地区とソチミルコ

メキシコの文化遺産 メキシコシティーは、かつてアステカ帝国の都テノチティトランがあった場所に建設された テノチティトランは美しい水上都市であったが、スペイン王室はアメリカ大陸の先住民の諸国家を征服するために、スペイン人のコンキスタドール(征…

ピサのドゥオーモ広場

イタリアの文化遺産 海洋都市ピサは、パレルモ沖海戦でイスラム軍を破り、まあ数度の十字軍に加勢したことで、地中海航路の多くを支配下においた。 ピサの斜塔として有名な鐘楼は、軟弱な地盤のために傾いている。ガリレオ・ガリレイが落下実験を行った逸話…

フィレンツェの歴史地区

イタリアの文化遺産 ルネサンスとは、古代ギリシャ・ローマ文化を模範とする人間中心の世界観(人文主義)に基づく新しい芸術・思想のこと フェイレンツェはルネサンスの中心地 ルネサンス期のフィレンツェは金融財閥メディチ家の支配のもとで発展した 古代…

アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群

ドイツの文化遺産 アイスレーベンは宗教改革の指導者マルティン・ルターが生まれて死んだ街 ルターの宗教改革は、ルターがヴィッテンベルク城の付属聖堂の玄関扉に張り出した95ヵ条の論題において、カトリック教会の贖宥状販売を批判したことに始まる。

アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋

フランスの文化遺産 フランス南東部のアヴィニョンに、ローマ・カトリック教会の教皇庁が置かれた 以後、アヴィニョンで7人の教皇がフランス国王の監視下におかれた時代を教皇のバビロン捕囚という 7人目の教皇グレゴリウス11世がローマに帰還した後、アヴィ…

カステル・デル・モンテ

イタリアの文化遺産 八角形で統一された城塞 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世も設計に加わった。

グラナダのアルハンブラ宮殿、エネラリーフェ離宮、アルバイシン地区

スペインの文化遺産 イベリア半島は711年にウマイヤ朝が侵略して以降、イスラムの勢力下にはいったが、キリスト教勢力は、イベリア半島の北部からイスラム勢力の駆逐運動レコンキスタ(国土回復運動)を始めた。 その後、1492年にキリスト教側からの総攻撃を…

ハンザ都市リューベック

ドイツの文化遺産 中世ヨーロッパ最大の商業同盟であるハンザ同盟の盟主リューベックは、海港を持ち、同盟が解散するまで繁栄し続けた。 城門であるホルステン門をくぐると旧市街が広がり、ドイツ最古のゴシック建築の一つである市庁舎やマルクト広場、聖マ…

ヴェネツィアとその潟

イタリアの文化遺産 ヴェネツィアは潟(ラグーナ)の上に気づかれた都市 9世紀には聖マルコの聖遺物を祀るサン・マルコ大聖堂が作られ、11世紀に現在のビザンツ様式に改築された。 9世紀に城塞として建造され、14世紀に総督の邸宅へと改築されたドゥカーレ宮…

ヴァティカン市国

世界最小の独立国家にしてカトリック教会の頂点 国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所 ローマで殉教した聖ペテロの墓があるといわれている。

パリのセーヌ河岸

フランスの文化遺産 現在のパリはカペー朝時代フランス王国の都として発展し、ノートル・ダム大聖堂やサント・シャペルが建てられた。 サント・シャペルとは、ルイ9世の命により、キリストの茨の冠と十字架の断片を安置するために建てられた礼拝堂 カペー朝…

タージ・マハル

インドの文化遺産 ムガル帝国5第皇帝のシャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルの霊廟である。

イスファハーンのイマーム広場

イランの文化遺産 イスファハーンは、サファヴィー朝の全盛期のアッバース1世が『コーラン』に記された楽園を理想としてイラン高原に築いた都 イスファハーンの中心には2層構造の回廊に囲まれた「イマーム広場」がある。 回廊に組み込まれる形で宮殿やモス…

イスタンブルの歴史地区

トルコの文化遺産 イスタンブルは東西文化交流の要衝で、交易上重要な都市で「東西文明の十字路」と呼ばれている。 イスタンブルは古代、ビザンティオンと呼ばれていた。 2世紀末にローマ帝国がビザンティオンを占領し、コンスタンティヌス帝が都をローマか…

『八萬大蔵経』版木所蔵の海印寺

韓国の文化遺産 韓国南部の海印寺には『八萬大蔵経』の版木8万枚以上が所蔵されている。 版木はモンゴル軍の侵攻で焼失したが、現在に伝わる版木は、モンゴル軍の退散と鎮護国家を祈念して復刻されたものである 版木が納められている板庫は東大寺正倉院と同…

スコータイと周辺の歴史地区

タイの文化遺産 スコータイはタイ族初の王朝スコータイ朝の古都 スコータイとはパーリ語で「幸福の夜明け」を意味する。 パーリ語とは古代インドの言語で上座部仏教の経典で使用されている。 スコータイ朝の最盛期を築いたラームカムヘーン王は上座部仏教を…

アジャンターの石窟寺院群

インドの文化遺産 アジア仏教美術の源流 アジャンターの石窟は前2~後2世紀の前期窟と、グプタ朝時代の後期窟に分けられる。 グプタ朝とは、チャンドラグプタ1世が創始した、インド古典文化の黄金時代 インド最古の仏教壁画が残っている 第1窟にある蓮華…

敦煌の莫高窟

中国の文化遺産 敦煌は前漢時代に、シルクロードの中継点として発展した。 莫高窟にある窟えんのうち最大の九層楼には、莫高窟最大の35mの仏像が納められている。 窟えんとは、石窟全面にひさしを突き出した形式の木造楼閣のこと 1900年、道士の王円籙が莫高…

シルク・ロード:長安から天山回廊の交易網

カザフスタン、キルギス、中国の文化遺産 シルクロードとは、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンによってはじめて使われた名称 東大寺の正倉院正倉にみられるガラス器の拍瑠碗は、ペルシアからシルクロードを渡ってもたらされたも…

高句麗古墳群

北朝鮮の文化遺産 高句麗は、新羅や百済とともに朝鮮の三国時代を形成した。 高松塚古墳の女性像とよく似た壁画がある。