イスタンブルの歴史地区
- トルコの文化遺産
- イスタンブルは東西文化交流の要衝で、交易上重要な都市で「東西文明の十字路」と呼ばれている。
- イスタンブルは古代、ビザンティオンと呼ばれていた。
- 2世紀末にローマ帝国がビザンティオンを占領し、コンスタンティヌス帝が都をローマからビザンティオンに移して、都市名をコンスタンティノーブルとした。
- 15世紀、オスマン帝国のメフメト2世が艦隊を山越えさせ、難攻不落のコンスタンティノーブルを陥落させると、オスマン帝国の都としてイスタンブルという呼び名が定着した。
- メフメト2世は、アヤ・ソフィアをはじめ、ギリシャ正教会のモスクを次々とモスクに改築した。
- 17世紀初めには、アフメト1世が青いタイルの内装を持つブルー・モスクを建造した。
- オスマン帝国は第一次世界大戦で敗戦し、トルコ共和国になると首都はアンカラに移された。