2019-10-22から1日間の記事一覧

危機遺産とは・・・

危機遺産の保全計画の実行等に必要な資金や人材が不足している場合は、世界遺産基金の活用や、世界遺産センターの支援が受けられる アフガニスタンの「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」は、タリバン政権に破壊され危機遺産リスト入りしたが、2020年…

カトマンズの谷

ネパールの文化遺産 カトマンズはヒマラヤ山脈のふもとにある盆地状の谷 カトマンズのダルバール広場には、20棟以上の寺院がひしめきあう 人口増加や開発が原因で危機遺産に登録されていた。2015年のネパール大地震でも被害を受け、現在も修復が進められてる…

バムとその文化的景観

イランの文化遺産 イラン南部の城塞都市バムの起源はアケメネス朝ペルシアの時代までさかのぼる 街の中心にあるアルゲ・バム(バム城塞)を囲む城壁は9世紀頃つくられた。気の生えない砂漠地帯のため日干しレンガを建材としている。 バムなどイランのオアシ…

ドゥブロヴニクの旧市街

クロアチアの文化遺産 ドゥブロヴニクはクロアチアの最南端に位置し、13世紀に共和制の自治都市なった 公衆衛生施設が整えられ、ジェンナーの種痘法開発前に全住民に天然痘の予防接種が行われていた ユーゴスラビア内線で建造物の7割が破壊され危機遺産登録…

ワルシャワの歴史地区

ポーランドの文化遺産 ワルシャワはポーランドの首都 第二次世界大戦ではナチス・ドイツの占領下に入ったが、戦後人々は「すべては未来のために」を合言葉に復興を進めた。 国王に仕えていたベルナルド・ベロッドが描いた風景画を参考に忠実に復元したため、…

アランフエスの文化的景観

スペインの文化遺産 アランフエスは15世紀にレコンキスタで活躍したカトリック両王が王領地とし、王家の避暑地として整えられた フィリペ2世の命で16世紀に建設が始まった離宮は、マドリードのエル・エスコリアル修道院と同じく建築家フアン・デ・エレーラ…

フィリピンのコルディリーラの棚田

フィリピンの文化遺産 コルディリーラの棚田群では、少数民族イフガオ族が2000年にわたって稲作を行っている。 田植えや収穫などの農作業時や冠婚葬祭の際に歌われる「ハドハド」は、2001年に無形文化財に登録される。 最近は後継者不足や周辺のホテル建設に…

ブラジリア

ブラジルの文化遺産 ジュセリーノ・クビチェック大統領が首都移転計画により、リオデジャネイロに代わる首都として建設された 建設されてから世界遺産登録されるまでの期間が短い遺産 設計の中心は、ル・コルビュジエに学んだブラジル人建築家オスカー・ニー…

ニュー・ラナーク

イギリスの文化遺産 グラスゴーの実業家デヴィッド・デイルはスコットランド南部のニュー・ラナークに当時最先端の技術だったリチャード・アークライドの水力紡績機を導入し、綿紡績工場や労働者の住宅をたてた デイルの娘婿であるロバート・オーウェンは、…

ウィーン歴史地区

オーストリアの文化遺産で危機遺産 ウィーンは13世紀以後、ハプスブルグ家の王ととして発展してきたが、歴史的建造物(都市開発により景観悪化が懸念されている)は大きく3つに分けられる 第1が、12~15世紀の中世の修道院や聖堂などで、聖シュテファン大聖…

自由の女神像

アメリカの文化遺産 アメリカ独立100周年を祝ってフランスから贈られたもの 風の強い海沿いに巨大な像を建てるという難題は、ギュスターヴ・エッフェル(エッフェル塔の設計者)が解決した。 左手は独立宣言書を抱え、右手はたいまつをかかげている。

サンクト・ペテルブルグの歴史地区と関連建造物群

ロシアの文化遺産 ロシアの西端のサンクト・ペテルブルグは、帝政ロシア時代の都 ロマノフ朝のピョートル大帝はロシアの西欧化や近代化を推進し、その統治下ではバロック様式の建物が多かったが、18世紀後半のエカチェリーナ2世が即位すると、新古典主義の…

ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット宮殿

イギリスの文化遺産 ノルマン制服によってイングランド人にノルマン人が流入する前の11世中ごろ、エドワード王がウェストミンスター宮殿とウェストミンスター・アビー(修道院)を建てた 宮殿は議会場としても使われ、1640年に召集された議会を国王が武力で…

ポツダムとベルリンの宮殿と庭園

ドイツの文化遺産 ドイツ北東部のポツダムと隣接するベルリンには、プロイセン王家の宮殿や庭園が多数残っている その中で有名なのは、フリードリヒ2世が夏の離宮として造営してサンスーシ宮殿とその庭園 内装はドイツのロココ様式の代表例 この場でポツダ…

シェーンブルン宮殿と庭園

オーストリアの文化遺産 ウィーンにあるシェーンブルン宮殿は、神聖ローマ皇帝レオポルト1世が造営した離宮が前身 ハプスブルク家の家督を継承したマリア・テレジアは、この離宮を増改築し、壮大な宮殿を誕生させた この宮殿を拠点にマリア・テレジアは啓蒙…

マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設

スペインの文化遺産 マドリード航海にあるエル・エスコリアール修道院と王立施設は、王宮や神学校、図書館、施療院を併設する複合施設 スペイン最盛期を築いたフィリペ2世は、フランス軍との戦いの勝利を感謝し、父カルロス1世の霊廟を兼ねて修道院の建築…

ヴェルサイユ宮殿と庭園

フランスの文化遺産 パリからほど近いヴェルサイユをルイ14世が気に入り、宮殿の建造を命じた ヴェルサイユ宮殿はフランス・バロック様式建造物の最高傑作 最も有名が鏡の間は、第一次世界大戦の講和条約が調印された部屋 日本の迎賓館赤坂離宮も影響をうけ…

ウルル、カタ・ジュタ国立公園

オーストラリアの複合遺産 オーストラリアのウルル(エアーズロック)とカタ・ジュタの中心とする一体は巨大岩石群 ウルルはオーストラリア西部のマウント・オーガスタスに次いで、世界2位の巨大な一枚岩 この土地はアボリジニのアナング族の聖地 アボリジニ…

大ジンバブエ遺跡

ジンバブエの文化遺産 トンブクトゥと同様に金の交易で繁栄したのちに衰退した砂漠地帯の遺跡都市 13世紀にショナ族が築いた石造建築による都市で、「アクロポリス」と「神殿」、「谷の遺跡」が残る 現地の言葉で「石の家」を意味するジンバブエが国名の由…

伝説の都市トンブクトゥ

マリの文化遺産で危機遺産 マリ共和国中部の都市トンブクトゥは、もともとトゥアレグ族の宿営地だったが、マリ帝国統治下の13世紀、サハラ砂漠の岩塩とニジェール川の金の交易の中継地として栄え、16世紀にソンガイ帝国のもとで最盛期を迎えた トンブクトゥ…

フエの歴史的建造物群

ベトナムの文化遺産 ベトナム中部のフエは、グエン朝時代の同国の首都 王宮は、北京の紫禁城を4分の3に縮小してつくられた。 中国の影響が強いベトナムに、近代以降西洋文化が流入した独自文化 フエの都市計画も、中国風を基本にベトナム伝統建築やヴォーバ…

北京と瀋陽の故宮

中国の文化遺産 北京の故宮は明・清時代、皇帝の居城で政治の中枢が置かれていた場所 清王朝崩壊後は故宮博物院として一般公開されているが、それ以前は紫禁城と呼ばれ、立ち入り禁止だった 城壁内部は中央の乾清門を境に、北の内廷は生活の場、南の外朝は公…

ナスカとパルパの地上絵

ペルーの文化遺産 地上絵はペルー南部のナスカとパルパにかけて描かれている。 年間降水量の少ない地域のため、絵が消えずに残った。 ナスカ文化との関連性が指摘されている。 70以上の動植物と700本以上の幾何学文様

ラパ・ニュイ国立公園

チリの文化遺産 約900体のモアイ像で有名で、正式名称は「パスクア島」だがイースター(復活祭祭)の日に発見されたことからイースター島と呼ばれる。 モアイの建造を始めたのはポリネシア系の長耳族だが、南米から短耳族が移住してくると、16世紀頃に部族間…

チチェン・イツァの古代都市

メキシコの文化遺産 メキシコ東部ユカタン半島北部のチチェン・イツァは、マヤ文明の中心拠点だった都市の遺跡群 マヤ文明の遺構が残る南部の旧チチェンと、トルテカ文明の遺構が残る北部の新チチェンに二分される 両区域には、マヤ文明の高度な天文知識を示…

マチュピチュ

ペルーの複合遺産 インカ族は15世紀に周辺の国を統一してインカ帝国を建設した。マチュピチュはその頃に築かれた都市 充実した灌漑施設と水汲み場の跡が、高度な文明をうかがわせる。 手つかずの自然が残されているため、複合遺産として登録されている。 最…

モスクワのクレムリン赤の広場

ロシアの文化遺産 モスクワ大公国はビザンツ帝国の後継者ツァーリ(皇帝)を自称したイヴァン3世によって1480年に独立した。 イヴァン3世は、レンガの壁や城門を建設してモスクワの壁を強固にし、その中にウスペンスキー大聖堂やグラノヴィータヤ宮殿を建…