ローマの歴史地区と教皇領、サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂
- イタリアの文化遺産
- 急速な領土の拡大はローマ社会を変質させ、内乱が続いた。
- 内乱の中で平民派のカエサルが共和派に暗殺されると、カエサルの意思を継いだオクタヴィアヌスが事実上の帝政を務めた。
- オクタヴィアヌスは亡くなった後、アレクサンドロス大王の墓を模してつくられたといわれるアウグストゥス帝廟に埋葬された。
- フォロ・ロマーノ(ローマ人の広場の意)は、ローマが帝政になる前から市民生活の中心の場だった。
- 帝政になると皇帝たちは凱旋門やコロッセウムを建てた。
- コンスタンティヌス帝はコンスタンティヌスの凱旋門を建造し、コンスタンティノープルを遷都した。
- キリスト教がローマの国教となると、キリスト教の聖堂が多くつくられるようになり、ローマ人が進行する全ての神々を祀っていたパンテオンも、キリスト教の聖堂となった。
- 世界遺産登録物件としては、ヴァティカン市国の直轄であるサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂も含まれる。